突然の悲報
10年ほど前に勤めていた会社の同僚であり、現在は親友として付き合いのあるCKさんから悲しい報告が届いた。
彼女とは同期入社で、私はすでに退職しているが彼女はまだその会社に勤めている。
(勤続〇〇年・・・あ、年齢がバレちゃうwww ま、それは今は置いといて)
私たちの入社時、その会社には3頭の犬がいた。
3頭のうち2頭は姉妹犬で、当時はまだ1歳くらいだった。
もう1頭はすでに3歳くらいの成犬で2頭とは血縁関係はないが、姉妹のお姉ちゃん犬として仲良く過ごしていた。
姉妹犬のうちの1頭とお姉ちゃん犬は数年前に既に虹の橋へと旅立っており、姉妹最後の1頭が先日旅立ったとのこと。
生きていればもうすぐ17歳だった。
ひと昔前なら「長寿」と言える年齢だ。
時代が変わった今でも、そう言っても過言ではないだろう。
だがヒト医療と同様に動物医療も日進月歩の昨今、どうしても「まだまだ」「もっと長く」と願ってしまう。
聞くところによると病気療養中だったらしい。
なおさら残念でならないが、こればかりはどうすることもできない。
今はただ、虹の橋のたもとでお姉ちゃん犬たちと仲良く、穏やかに過ごしてほしい。
そう願うばかりだ。
当時の私と『虹の橋』
ペットの旅立ちを見送るときに、度々見かける『虹の橋』とういう言葉。
闘病中に動物病院で亡くなったとき、あるいはペットの火葬の際に葬儀場のスタッフから労いの言葉とともに一編の詩を渡されることがある。
『虹の橋』は、ある飼い主が愛犬が亡くなった際に書いた詩だ。
作者不明のまま※、インターネットを介して世界中に伝わり、多くの人がこの詩に心を救われてきた。
私も愛猫を見送る際にこの詩を渡されたことがある。
ただ・・・
愛猫を病気で亡くした当時の私は、涙に暮れ、何ひとつ手に付かず憔悴するばかり。
詩に一応は目を通したが、覚えているのはこういうふうに訳された文言。
─── 健康と活力を取り戻す
─── 丈夫な身体を取り戻す
私にとって『虹の橋』はどちらかというと逆効果だった。
詩中のその言葉が、文章が、
より胸をしめつけ、涙があふれ、喪失感と守れなかった罪悪感に苛まれた。

生まれ変わって、もう一度まみぃのもとへ帰ってきてね
待ってるからね
また、まみぃのコになってね
来る日も来る日も、そう願うばかりで涙は止まらない。
もっと時間が経てばその詩の持つ素敵な意味に向き合えたかもしれない。
だがペットロス真っ只中の私は、以降その詩に触れることを避けた。
その詩を見るたびに、『虹の橋』という文字を見るたびに、
失ってしまったかけがえのない愛猫たちの死を思い出してしまう。
結局、自分が傷つくことを恐れ、再び『虹の橋』を読むことはなかった。
あのコ🐶に思いを馳せる
先日の親友からの連絡で、久しぶりに『虹の橋』の詩を思い出した。
思い出したと言っても詩の内容ではなく、詩の存在を思い出したのだが💦
静かに目を閉じ、在りし日のあのコ🐶(姉妹最後の1頭)の元気な姿を思い浮かべる。

片耳だけ折れた、少し毛足の長い、かわいいあのコ
他の2頭よりもビビりだったなぁ
人見知りもあったねぇ
嫌がらずにシャンプーさせてくれるいいコだったな
芝生の広がる場所で3頭で元気に駆けまわっていたっけ・・・
虹の橋のたもとでお姉ちゃん犬と姉妹犬に会えたかな

『虹の橋』か・・・
あのコに思いを馳せたとき、私の脳裏には虹の橋の架かる美しい場所で3頭が楽しそうに駆け回る姿が浮かんだ。
かつては『虹の橋』の文字を見ただけで胸がしめつけられる思いをしていたが、今は穏やかな気持ちで詩に向き合える気がした。
時の流れのおかげだろうか😌
「今の自分なら最後まできちんと読めるかもしれない」
あのコへの思いに背中を押されるように、改めて『虹の橋』を読むことにした。



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