子猫の里親募集体験㉕ : エピローグ

子猫の里親募集体験記

ゴム紐のような?4か月だった

2024年3月9日、兄はちこと『そらくん』の譲渡契約成立をもって、私の保護猫活動は終了した。
自宅近くで4匹の猫を保護してから無事譲渡に至るまで4か月かかった。
この『4か月』を長いと捉えるべきなのか?
あるは短いのか?
それとも『そのくらい』なのか?
私は未だその答えを得ていない。
今後も保護猫活動を続けていくのであれば、答えを知っておくにこしたことはないだろう。
その答えはおおよその『目安』として活動に活かせると思う。
でも誰がその答えを知っているのだろう?

個人的には「4か月は長いか短いか」の答えはないと思っている。
『時間』や『月日』というものは一定で不変的なもの
(※専門用語だと『絶対時間』や『物理的時間』というらしい)
では「長い」「短い」と感じるのはなぜか?
それは時間には体感時間』というものがあるからだろう。(※『心理的時間』ともいうらしい)
時間の流れに辛さや不安のようなネガティブな感情が重なれば長く感じる。
逆に楽しさや喜びのようなポジティブな感情が重なれば短く感じる。
実際、活動期間中に不安や焦りを感じていたときは、ほんの1日24時間がものすごく長く感じた。
一方で、問い合わせがあり、順調に訪問面会の約束を交わすと心に安堵と喜びの気持ちがこみ上げてきて、当日までの数日間があっという間に過ぎた気がした。
楽しい時間はあっという間に過ぎていったのだ。
そして訪問日の前夜になると時間はさらに加速して過ぎていく感覚にとらわれる。
不思議なことに、楽しさや喜びのようなポジティブな感情だけでなく、「さみしい」も時間を短く感じさせたのだ。

『時間』と『感情』

この2つが重なりあったときに生まれる不思議な感覚。
振り返ると、私の体験した4か月はまるでゴム紐のようだった。
伸びたり縮んだりを繰り返すが、ゴム紐の長さは基本的に変わらない。
そこにあるのは『4か月』という不変の時間。

この『4か月』について、誰かに「そんなにかかったの?」と聞かれれば「長いかなぁ」と聞き返すかもしれない。
逆に「短期間で決まったね」と言われれば「4か月もかかっちゃったよ」と答えるかもしれない。
体験してもなお、私自身が得た答えはこんなにもあいまいなのだ。
だから私はこう考えることにした。

子猫たちそれぞれが引き寄せたいご縁が巡ってくるまでに4か月待つ必要があった。
最高の家族とご縁が結ばれる時期はすでに決まっていた。
それが『4か月』だった。

体感時間』を理解しようにもその概念は案外深く、現時点でのこれ以上の深堀は避けようと思う😅
私が参考にしたリンクを貼りますので、興味のある方は青文字をポチっとしてください🖱️👆

体験から得たものは

今回の保護猫活動を通して私は自分の弱さに向き合うことが出来た。

保護期間中、私は「神様に試されている」と思っていた。
私は情に流されやすく、執着心もかなり強い。
自分の視界に入った野良猫、特に子猫をつい保護してしまう。
そして手放せなくなり、自分の家猫にしてしまう。
そんなことをこの先も続けていたら、いつか多頭飼育崩壊を招くことになる。
そんな私に喝を入れるためか、あるいは導くためか。
神様は私の前に4匹の子猫を出現させた。

「里親を探そう」

そう考えたものの、知識も経験もないために空回りするばかりだった。
何度も脳裏をかすめる、現実逃避の言葉。
「うちのコにしたらいい・・・」
その言葉が浮かぶたびに悩み、時に投げやりになり、自問自答を繰り返してきた。
だが結果として無事に子猫たちを譲渡することができた。
『執着心』のかたまりのような私にも出来た『手放すこと』
まぁ、後半は少々アブなかったけど💦
自分で保護した子猫たちを新しい飼い主さんたちに託すことができたことに一番驚いているのは実は私自身🤭
ほぼほぼ、飼い主になってくれた3家族の人柄のおかげで無事譲渡できたんだけどね😅

たった一度の経験で執着心が完全に溶けてなくなったとはさすがに思えないが、自分の弱い点を見つめなおす良い機会になったことは確かだ。

神様に問いてみようか🤔
「私は課題をクリアできたでしょうか?」
でももう、しばらくは子猫出現は勘弁してくださいね😓

元気でいてくれてありがとう

保護した4匹すべてが保護ハウスを卒業した日からしばらくは呆けていた😐
何というか・・・燃え尽き症候群に近いような感じ?
そこまで重症ではなかったけれど😅
保護期間中が割と慌ただしかったせいか、「あれ?いつもこんなに平和だった?」と穏やかな日常に驚いた。

今思えば、かなり無謀な試みだった。
自宅組の愛猫たち、職場組の愛犬愛猫たちが元気で健康でいてくれたから子猫たちを保護することを決断できたんだと今更ながら気づく。
職場組のきゅうの肝疾患が完治したこともあり、心身共に余裕が出来たからと保護に踏み込んだのはいいが・・・
完治したからといって再発しない保証はどこにもなかったはず😱
えにしの血糖コントロールも順調だったが、いつ調子を崩すかなど予測できるものではない。
保護猫活動中に自宅組も職場組も体調不良やケガをするコがいなかったから「結果オーライ」と自己完結してしまったけど💦

もしもあの時、愛犬や愛猫たちに何かあった場合、保護した子猫たちの世話と同時に愛猫たちの世話も並行してできただろうか?

まだ幼い保護猫たちの世話と愛猫たちの世話、どうしてもどちらかを優先しなければならない状況になったときに冷静に選択することはできただろうか?


すべてが終わった今でも、考えただけでゾッとする😱
保護猫に対しては「何事にも万が一はある」と考えてきた私だが、愛猫たちの「万が一」を考えていただろうか?
「万が一」を考えて、覚悟を決めて保護活動に踏み切ったか?

・・・ごめんなさい、そこまで覚悟してなかったかも😢

保護ハウスに重きを置く私を見て愛犬や愛猫たちはどう感じていたのだろう。
毎日顔を合わせてはいたが、いつものように触れたり、遊んだりしてくれないことに不満はなかっただろうか。
「ちびっこのほうが好きなんでしょ?」と拗ねたりはしなかっただろうか。
実は体調がすぐれないときがあったが、全く気づかない私に愛想を尽かしたのではないか。

人間語を話さない犬猫と犬猫語が話せない人間。
問いかけても当然答えはわからない。
実は私の考えすぎで、案外「別に何とも思ってないけど~」と言っているかもしれない😓
それはそれでちょっと複雑な気持ちになるけどね。
言葉は交わせないけれど思いが伝わればいいなと思う。

元気でいてくれてありがとう😌
健康でいてくれてありがとう😌
たくさんかまってあげなくてごめん😢
私に挽回のチャンスをちょうだいね😓
これからもキミたちの健康管理や食事管理をしっかりとやっていくよ👍
もちろん、遊び相手にもなるさ👌
居心地がいいように環境管理もバッチリするし、爪切りやブラッシングもするよ👍
その代わり、元気で健康で長生きしてね🤗

体験記を書き終えて

保護猫活動終了後、スマホのストレージにたまった子猫たちの写真を外部ストレージに整理した。
保護初日から最後の卒業生・そらくんの訪問日までの写真を眺めているとふと思いつく。

私の体験した4か月を記事にするのはどうだろう?
もしかしたら、保護猫活動中に私が考えていたことや悩みが誰かの役に立つかもしれない。
それってすごく嬉しいことじゃん?😄

さて、書こうと思うのはいいがどう書いていこうか?
そこで大いに活躍したのが記録と写真だ。
子猫たちの健康状態や成長具合を把握するために、食事内容や量、排泄の有無などを大まかに記録していた。
また、私は一日の出来事を手帳にメモ書きすることをルーティンにしており、そこにも子猫たちの様子を書き残していた。
そして手元には情報サイトの里親募集記事に掲載していない写真がたくさんある。
これだけの情報があれば体験記として割と読みごたえはあるのではないだろうか。

加えて、各家族から私の元に子猫たちの様子を知らせる写真がたくさん送られてきたことも記事を書く原動力になった。
譲渡成立後にも関わらず、本当にたくさんの写真を送ってくれた。
何気ない日常の様子から成長が分かる写真まで、あらゆる表情が楽しめるとても素敵な写真。
これらを私が独り占めするのはもったいないと思った。
そして、自分が迎え入れた子猫の兄弟たちの顔を各家族に知って欲しいとも思った。

4匹は同じ母猫から産まれた兄弟猫であることは間違いない。
それはみなさんに伝えている。
その上で

我が子の兄弟猫はどんな子なのか
我が子と似ているのか
我が子の兄弟猫はどのくらい大きくなったのか
我が子よりも大きいのか
あるいは小さいのか

それぞれの家族が我が子を愛でながら、こんな話題で一家団欒していたらとても嬉しい。
「4兄弟の成長を共有できる記事になればいいなぁ🥰」
そんな願いを込めて書いた。

記事作成及び掲載について、各家族に写真の使用とメッセージの引用の許可を得るために連絡を取るとみなさん快く承諾してくれた。
いざ書き終えると、記事数が25もあるという恥ずかしながらの超大作感🤣
体験記は4匹の子猫が私と飼い主たちをつないでくれた記録にもなっている。
Sさん、OSさん、YOさん
体験記作成にご協力、本当にありがとうございました。

今後の話

保護猫活動は私にとってとても良い体験になったことは間違いない。
だからといって、今後も率先して野良猫を保護して譲渡する活動をする予定は今のところはない。
それは「懲りた」とか「もうやりたくない」というようなネガティブな感情からそう思っているのではなくて・・・

私には守るべき命がある。
私にとって愛犬・愛猫たちが唯一無二の存在であると同時に、彼らにとっても私が頼りの綱だということを再認識したからだ。
私は彼らの飼い主として、家族として、彼らが幸せに暮らしていけるように尽力しなくてはならない。
意見は多々かあるかもしれないが、私にとっては彼らが最優先なのだ。
私は最優先を2つ抱えることができるほど器用な人間ではない。

人には向き不向き、得手不得手があると思う。
私と違い、自分のペットだけではなく、保護した犬や猫も並行して世話をし、かつ幸せな暮らしを提供できる人がいる。
つまり、最優先を2つ抱えることができるということだ。
保護活動が向いている人はそれができる人なんだと思う。
また不思議なことに、そういう人の周りに出現するものなんだよね、野良ちゃんたちって。
神様が「この人(人たち)ならキミたちを幸せにできるよ」と言って動物を導いていくんだと私は思っている。

前述したように、私は器用な人間ではない。
どうちらかが体調を崩したり、ケガをしたりすれば自ずとそちらを優先してしまうだろう。
そうなってしまったときの私は、おそらく手の付けようがないくらいに情緒不安定になっているだろう。
そうなれば結局は共倒れになるだけだ。
それでは保護した動物も家族も、私自身さえも幸せではない。

「今回、出来たじゃないか?」
いやいやいやw
今回はたまたま愛犬・愛猫たちが健康だったから活動を成しえた。
こういうのもビギナーズラックっていうのかな?
あるいは神様の配慮かな?
いずれにしろ今回の私は運がよかっただけだ😓

ただ、何事にも『万が一』はあるwww(出た!迷台詞w🤣)
もしも神様が再び私の前に子猫を出現させたら、そのときはまた里親探しを試みるだろう。
さすがに『見て見ぬふり』はしない。
でもおそらく、しばらくは子猫の出現はないと思う。
神様が『今の私』を必要としている野良猫はいないと判断しているのだろう。
実際に保護猫活動を終えてから野良子猫に出会わない。
「必要とされてない」なんて、少し切ない気もするが😅
良い意味でとらえるとするならば、今の私を必要としているのは『私の家族』なのだ。

だが万が一にも再び里親探しをすることになったとき、今度は平常心を保ち、それこそ最優先を2つ抱えられるくらいの余裕を持って行動したいものだ。
そのためにも、次はスマートに物事を進められるように保護猫活動やTNR活動についての情報や知識は積極的に得ていこうと思っている。

そしてもうひとつ、今の私でもできることがある。
保護猫活動、保護犬活動をする団体や活動家たちを支援することだ。
活動期間中に自分の居住地域にも保護団体や活動家がいることを知った。
彼らの活動の現状や内容を知り、どのような支援を望んでいるのか。
まずはそこから始めたいと思う。

言うなれば『保護犬・保護猫活動を支援する活動』です👍

長々と体験記を読んでくださりありがとうございました。
また機会がありましたら、子猫たちのその後を綴るかもしれません。

🥰体験記を始めから読みたい方はこちら: 「 プロローグ 」https://jihonaen.conohawing.com/zakki-satooyaboshuu/

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